このページでは、創価学会の現状とこれからの展望について考察していきたい。
1⃣創価学会の現状
創価学会は戦後の混乱期から高度経済成長期の時流に乗って
「簡単な修行で何でも願いが叶う」という手軽さと現世利益を全面に押し出した教義を掲げ、
「折伏大行進」という強引な布教方法で破竹の勢いで勢力を拡大し続け、
日本最大の宗教団体にのし上がったが、
その勢いも昭和40年代にピークを迎え、
その後は徐々に衰退を始め出した。
勿論、衰退を始めたとは言え、ゆるやかな衰退だったので、
昭和60年代の頃まではまだ組織力には勢いがあったのだが、
それが平成に入って日蓮正宗から破門された辺りから、
多くの信者が日蓮正宗に移ってしまうという事もあり、
衰退が激しくなっていった。
そしてインターネットが普及し始めると、
それに伴って衰退がますます加速し、
今現在、創価学会の衰退は加速したまま続いている現状だ。
その原因は何と言っても、インターネットで創価学会に都合の悪い情報が誰にでもすぐ知られるようになった事が大きい。
インターネット時代前から週刊誌や書籍によって
創価学会の不都合な真実は暴露されてはいたが、
多くの人が手軽に情報を得られるという所までは行ってなかった為、
世の中に広く知られるまでには至らなかった。
それがインターネットによって今まで知られていなかった創価学会にとって都合の悪い情報が一般人にも簡単に手に入るようになってしまったのだ。
それまで胡散臭い宗教団体だと思われていたものが、
一気に明確に創価学会の正体が知られてしまう事になってしまったのだ。
座談会などの会合では青年部の姿は見かけなくなり、
参加しているのは年取った同じ顔ぶればかりという地域が増えている。
今まで青年部が担当していた会館警備なども
壮年部が代わりに出てこなければならなくなったという地域も増えている。
聖教新聞も学会員の配達人が確保できず、
読売新聞販売店に委託し始めた地域が出てきたという。
現在、活動の主力はかつて青年部だった老人の活動家が担っている状態にあり、
その老人パワーに頼らざるを得ないという現状にある。
このように現在、創価学会はますます衰退の加速を強めている段階だ。
2⃣インターネット時代における創価学会の特色=活動家の減少と似非活動家の増加
ところで、インターネット時代に入ってから創価学会には次のような特色が現われている。
それは、活動家が減少し、代わりに似非活動家(えせかつどうか)が増えているという事だ。
先に書いた事例にもあるように、今や創価学会は青年部は減り続け、
その為、壮年部・婦人部が青年部の代わりをしなければならなくなり、
そして聖教新聞も読売新聞販売店に委託しなければならなくなったというように、
活動家が激減している状態だ。
要するに、学会活動をする学会員が減り続けているのである。
しかし、反面、インターネットを見てみると、
創価学会を批判している反創価サイトの数には及ばないにしても、
それでも創価学会の正しさを訴えている学会員のサイトも少なからず存在し、
活発に発信を続けている。
そのインターネット上で自分のブログやサイトを持ち、
盛んに創価学会の正しさを訴え、
創価学会を批判しているブログやサイトを見つけては逆批判し攻撃している学会員を、
ネット学会員とかネット活動家などと呼んでいる人もいるが、
しかし、そのようなインターネット上で活動しているように見える学会員は
実際には活動家ではなく「似非活動家」なのである。
つまり、活動しているように見せかけているだけの「似非活動家」なのである。
創価学会の活動家というのは、折伏をして信者を増やし、選挙で公明党の支持票を集め、会合に参加し、活動していない会員を活動家に育て上げるなど忙しく活動している学会員なのだ。
インターネットで油を売ってるような暇などないのが活動家なのだ。
ところがインターネット上の学会員というのは、
ブログの記事を書くのに忙しく、あるいは反創価ブログやサイトを見つけ出しては自分のブログで批判攻撃したり、相手の反創価ブログに乗り込んでいって批判攻撃したりと、そんな事ばかりしているのである。
創価学会にとって活動家というのは、創価学会の利益の為に役立ってこそ価値ある存在なのであり、だからこそ活動家としての存在理由があるのだ。
それに対して、インターネット上の学会員というのは、
学会活動もしないでブログにどうでもいいような記事を書いては悦に入り、
反創価ブログやサイトを見つけては批判攻撃するという、これまた創価学会にとってはどうでもいいような事を時間をかけて行なっているのである。
勿論、当のインターネット上の学会員にしてみれば、
自分のブログやサイトで創価学会の素晴らしさを訴え、
創価学会を批判している反創価の立場のブログやサイトを逆批判攻撃して破折しているつもりでいるらしいのだが、
しかし、そんな事をしていても、盲信・狂信の学会員以外にそれに共感する者などいない。
共感する者もいないのにそんな事をしていても自己満足しかなく、全く無駄でしかないのだ。
もし仮に、似非活動家のサイトを読んだ部外者がその主張に共感し、
入会したとしても、すぐにその実態が判ってしまい、
学会組織から離れて行ってしまう事だろう。
いくらブログやサイトで創価学会の素晴らしさを訴えた所で、
実際に入会して体験してみればすぐ正体が判ってしまうものだ。
創価学会にとってはそんな無駄な事をしてもらうよりも、
似非活動家自身に実際に現場で活動してもらわなければ困るのである。
そのような活動をしてこそ活動家なのだ。
それ故に、いくらインターネット上でいかに創価学会が正しいかという事を訴えても、
いくら反創価ブログ・サイトを批判攻撃しても、
それらは創価学会にとって何ら利益になる事ではないから、
学会活動している事にはならないのだ。
だからインターネット上の学会員は活動家ではなく「似非活動家」なのである。
そもそも「似非活動家」も学会活動をしない「非活動家」あるいは「未活動家」なのだ。
学会活動をしない「非活」「未活」と一口に言っても、創価学会を嫌っていて信じてもいない、創価学会から抜け出したいと思っている「非活」「未活」もいれば、
創価学会を信じてはいるが、学会活動について行けず「非活」「未活」になっている学会員もいる。
「似非活動家」になっているのは、後者の方で、創価学会を信じてはいるが学会活動はしたくないという学会員なのだ。
だからインターネットの時代に入ったら、自分の居場所をインターネットの世界に求め、インターネットに逃げているのである。
そして創価学会がいかに正しく素晴らしい団体であるかと力説し、
創価批判をするブログやサイトに対して怒りを露わにして批判攻撃をしては
学会活動をしているつもりになっているのである。
今現在、創価学会にはこのように実際の活動家が減り続け、
インターネット上に「似非活動家」が増えているのである。
過酷な学会活動に使役されている活動家の実態を知れば、
活動を嫌ってインターネットに逃げて「似非活動家」になる会員が増えていくのは当然の帰結だと言える。
3⃣創価学会のこれからの展望
これからも創価学会の衰退は止まらないだろう。
インターネットによって創価学会の正体が暴かれてしまったからには
もはや以前のような勢力拡大を取り戻す事など不可能だと言える。
ただ、完全消滅する所までは行かないのではないかと思われる。
オウム真理教のようなテロ事件という明らかな犯罪を起こした教団であっても、
名前を変えて今も存在し続け、信じている信者もいるくらいだから、
創価学会も勢力がかなり縮小するにしても、
完全消滅する事なく存在し続けるのではないかと思う。
盲目的に信じてついて行く盲信者がいる限り、
創価学会は存在し続ける事だろう。
だが、先にも書いた通り、
創価学会を支えている一般会員の活動家は減り続け、
代わりにインターネット上で屁理屈を捏ねくり回してるだけの
役立たずの似非活動家が増えて行く事になると予想されるだけに、
創価学会の組織力は弱体化して行く事は避けられない。
インターネット上では威勢が良いが口先ばかりで、
嫌いな学会活動は人任せという似非活動家は現場では頼りにならず、
今や活動の主力となっている老人パワーには未来がない。
そのように創価学会の組織力が弱体化すれば
金の力も公明党を使った権力もなくなり、
弱小教団としてしか存在できなくなると思われる。