創価学会の特徴

創価学会には表向きの教義や活動方針と

内部向けの指導や活動実態とが存在する。

このページでは創価学会の実態としての特徴を述べておきたい。

①闘争思想

「世界最高に正しい仏教団体」を名乗り、表向きは世界平和の実現を謳っている創価学会だが、内部の会員に向かっては「闘争思想」が全面に押し出されており、

聖教新聞等の機関紙誌には「仏法は勝負なり!」「闘争する事が仏法だ!」「大闘争の中に大功徳がある」「仏法は永遠に闘争」「勝って勝って勝ちまくれ!」「戦わざる者は去れ!」といった闘争本能を煽る文字が踊り、

一般会員に「折伏闘争」「題目闘争」などと号令をかけては闘争、争い、戦いへと駆り立てている。

本来、仏教は闘争や戦い争いから離れることを教えている思想なのだが、

創価学会は仏教の本流であるかのように主張しながら

仏教とは程遠い思想を掲げて信者の闘争心を煽っている。

②活動中心主義

仏法は本来、自己の内面へと向かう教えなのだが、

創価学会は学会活動を最重視し、

心の内面への関心は殆ど見られず、

内面的な省察に目を向ける事もなく、

現世利益の欲望を煽るような教義を掲げ、

自己の外側へと社会や政治へと関心を向け、

活動中心の組織体制になっている。

学会活動に参加する信者は「活動家」と呼ばれ、

学会活動をしない信者は「信心がない」と見なされ、

場合によっては「進まざるは退転」と言って、

学会活動をしない信者は「退転者」扱いされる。

③成果主義

集団組織活動が最優先の創価学会では、

殆ど全ての面について成果主義となっている。

活動家は絶えず成果としての数字の報告を強いられ、

成果を上げられなければ、上の幹部から吊るし上げられ罵倒される。

つまり、活動家は成果という手柄を立てる事を要求され、

成果という手柄を立てる事が信心の証とされているのだ。

そのような活動家は成果を上げる為に手段を選ばなくなり、

布教の為の折伏も強引な方法や騙し討ちのような手法を使う事が多くなり、

しばしば世間と軋轢を生む事が多い。

ちなみに、以前は、折伏戦や公明党支援の選挙戦では、

拠点に活動家の折伏成果数や選挙戦でのF票(外部支持票)の獲得数を

営業成績のようにグラフで貼り出し成果を競わせていた。

④理性よりも感情に訴える幹部指導

仏教の開祖・釈尊は、理性でもって相手の理性に静かに

語りかけるような説法の仕方を理想としていたという。

決して感情的にならず、相手を理性によって理解せしめるような語り方を最上の説法の仕方、語り方としており、

そのような説法を釈尊は行ない、弟子達にも理想の説法の仕方として教えていたのだという。

それはその後も仏教の説法の仕方として伝統的に受け継がれている。

それは本来、仏教が理性の宗教だからである。だから理性に語りかけるような説法を重んじたのである。

それに対して、創価学会の幹部指導というと、

人の感情を揺さぶるような、感情に訴えるような指導をしている。

果ては大声で怒鳴るような喚くような、あるいは絶叫調の指導までしている有様だ。

それは創価学会が闘争的である事にもよっているし、

更には信者を学会活動に駆り立てる手段でもあるからである。

学会活動は過酷な活動であり、信者をそのような過酷な活動に駆り立てようとしても、

理性で理解させるような指導の仕方では信者を思うように動かせないからである。

過酷な活動に駆り立てる為には、感情を揺り動かすような、

感情に訴えかけるような指導でなければならないからだ。

だから学会幹部の指導は、理性よりも感情に訴えるような

騒々しい指導をしているのである。

⑤個人崇拝と組織信仰

創価学会は日蓮を宗祖とし、本仏として崇めているが、

実際にはその日蓮以上に池田大作名誉会長を崇めており、

宗祖以上に個人崇拝をしている。

「師弟不二」という言葉を重視し、池田名誉会長を師匠として、

「師と呼吸を合わせる信心」をどこまでも貫き通す事を会員は求められる。

特に活動家への幹部指導においては、

「仕事してる時でも池田先生の事を思ってるか?」などと詰問し、

いつも池田名誉会長の事を思い続けるよう強要していたものであった。

また、学会活動という組織活動を最優先している創価学会は、

組織そのもの、組織活動そのものに功徳があるかのような指導を会員に行なっており、

どこまでも学会組織についてゆけば崩れない幸福境涯になり、

創価学会の組織から離れると不幸になるなどという指導を行なっている。

しかし、創価学会という組織が信者個人を幸福にしてくれる訳ではなく、

幸福になるもならないも個人の心のあり方と努力如何に懸かっているのである。

ましてや創価学会という組織に入ってさえいれば自然に幸福になる事などあり得ない話だ。

しかも近年は「創価学会仏」という言葉を掲げて、

創価学会という組織そのものが仏であるかのような言い方をしている。

しかし、本来、「仏」とは個人の心の境地の表現であって、

組織そのものが仏の境地になる事などある訳がないのだ。

このように何でも組織に入っているか入ってないかなどという

形式主義で物事を判断するのが創価学会の特徴となっている。

⑥敵対者や批判者への罵詈雑言・罵倒

創価学会の言葉の悪さは有名で、

特にそれが顕著になったのが、

それまで信仰の母体となっていた日蓮正宗から破門された後からで、

聖教新聞や創価新報などの機関紙誌で日蓮正宗への罵詈雑言・悪口罵詈を書きまくり、下品な汚い言葉で罵倒する記事を掲載していた。

近頃は方針を変えたのか、以前のような酷い罵詈雑言は見られなくなったが、

それでも創価学会の言葉の悪さは昔からあって、

宗教家としての品性に欠けているのが特徴である。

仏教では「身口意の三業」と言って、身体的行為も言葉による行為も心で思った事でも全て当人に返ってくると教えている。

善なる業は善果として、悪なる業は悪果として当人に返ってくるという。

当然、汚い下品な罵詈雑言を吐いたり書いたりすれば、

それが当人に返っていくというのが仏法思想なのだが、

「世界最高の仏法」を誇っている創価学会は、

仏教団体を名乗っていながら、そういう仏教の業思想を全く信じてないようだ。

信じてないからあれだけ汚い下品な罵詈雑言記事を書けたのだろう。

業思想を信じていたらあんな悪口罵詈の言葉は書けない。

近頃の創価学会は「言葉と共に生きていく……聖教新聞」というテレビCMを頻繁に放送しているが、「罵詈雑言の言葉と共に生きている」のが聖教新聞だったのであるし、

創価学会は「罵詈雑言の言葉と共に生きている」宗教だと言える。

⑦現世利益信仰

創価学会の信心は現世利益の信仰である。

公式サイトには「仏法の実践を通して各人が人間革命を成就し、真の幸福境涯を確立する」と高尚な理念を謳っているが、

実際には「大学受験に合格した!」「入社試験に合格した!」

「経営している会社の売上が上がった!」「商売がうまく行くようになった!」

といった類の現世利益の功徳の体験談が機関紙誌で盛んに喧伝されている。

そういった現世利益の功徳というのは崩れない真の幸福境涯とは言えず、

釈尊が説いていたように、やがて崩れ去り一喜一憂する事になる無常の現象に過ぎないものだ。

元来、釈尊が説いた仏教は現世利益の信仰ではなく、自己の心のあり方を見直す事によって苦を克服するという教えなのだが、創価学会は無常の産物に過ぎない現世利益論を信者集めや活動家として活動させる為の道具に使っているのである。

⑧決意発表と体験発表の重視

創価学会の会合では決意発表と体験発表が頻繁に行なわれている。

決意発表とは学会活動に取り組む為の決意を発表するものであり、

体験発表とは功徳の体験談を発表するものである。

創価学会ではこの2つの発表を重要視して会合で信者に頻繁に行なわせている。

信者に活動への決意を発表させる事によって

学会活動に積極的に参加するように仕向ける事が目的と思われるし、

功徳の体験発表をさせるのも、創価学会の信心で功徳を得られたという気持ちにさせて更に学会活動に邁進させる為と、

体験談を聴いた他の信者も発奮して学会活動に邁進するように仕向ける事が目的と思われる。

いずれにしろ、決意発表も体験発表も信者を学会活動に積極的に参加させ活動させる事が目的なのだ。

⑨学会員の金銭トラブル

もはや創価学会の伝統と言ってもよいのが、

学会員による金銭トラブルである。

学会員同士の金銭貸借や保証人によるトラブル、

更には部外者との金銭トラブルと、

とにかく学会員は昔から現在まで金銭トラブルを起こし続けている。

金銭トラブルを起こす学会員は地区幹部や支部幹部が圧倒的に多い。

しかしそれは当然と言ってもよく、

地区幹部や支部幹部は末端の役職者として創価学会の為にタダ働きをしているようなものであり、しかも仕事を休んで活動に没頭しなければならない時もある為、

とにかく生活に支障をきたしている状態にあるからだ。

それで創価学会が言うような功徳というものが顕われるのなら良いのだが、

そのような功徳というものも得られない為に金銭貸借などでのトラブルとなってしまうのである。

実際には功徳が現われず本尊や信心による救いがない為、活動家は人に頼ってしまう事になるのだが、

「学会の信心で人を救う」と言いながら、自分が人から助けられている有り様なのだ。

⑩敵対者が不幸になるように祈る「呪いの題目」

創価学会では、敵対者が不幸になるようにと祈る「呪いの題目」が行なわれている。

元々は創価学会が信仰の母体であった日蓮正宗から破門された事がきっかけで、

創価学会を破門した日顕法主の不幸を祈るようにと幹部指導が行なわれた事が始まりだ。

日顕法主など敵対者の名前を書いた紙を仏壇に置き、

それら敵対者が不幸な目に遭うようにと祈りながら題目を唱えるのだそうだ。

これを創価学会では幹部が指導して会員に行なわせているのである。

これ以外にも、会合や集会において、日顕法主などの敵対者の写真や似顔絵を出席した会員に踏みつけさせたりといった事も行なわせている。

このようなまるで呪術のような事まで会員に行なわせている創価学会は

「世界最高の仏法」どころか「世界最低の仏法」としか呼べないのではないだろうか。

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